2016年1月23日土曜日

学びのとき・滋養のとき


例えばちょっとしたアクシデントで怪我をしてしまったり、ふとしたキッカケで体調や心のバランスを崩してしまったり、思いもよらぬ病気になってしまったりと、私達の日々の生活には意図せぬ出来事が満ち溢れています。

そんな不調の時であっても、仕事や家事や子育てなど、放棄することのできない任務を抱える私達にとっては、「無理をしない範囲で加減をしながら、妥協点を見出しながら、周囲の手助けを受けながら、するべきことの”本質”の部分をしっかり押さえておこう」とするのが常です。

大事な試験の直前に風邪をひいてしまったならば、前夜は無理して詰め込まずに休息をとり、ベストコンディションでできることを行うでしょうし、ヤンチャざかりの子育て真っ最中にぎっくり腰になったら、ご主人や友人のサポートを得ながら、負担のかからない方法で、家事や育児をやりくりするでしょう・・・ それとも、風邪だからと試験を放棄しますか? またはギックリ腰だからと家事や子育てを放棄しますか?

 恐らく答えはNOだと思いますが、ではヨガの練習についても、同じことが言えるでしょうか?




 アシュタンガヨガの練習を毎日続けていると、自身の体調や心の状態の変化にとても敏感になり、ちょっとした不調の予兆ですら違和感としてハッキリ感じ取られるようになってきます。そして、恐らく私達のほとんどが、この違和感をネガティブなものとして捉え、排斥しよう、否定しよう、または乗り越えようと無意識に努力を重ねる傾向にあるような気がします。

そんな私達アシュタンガ練習生が、ある日突然、ヨガの練習中ではなく普段の生活の中で、ケガをしたと仮定しましょう。転んで手をついた拍子に指の骨にヒビが入り、「手を床につけて重心を乗せる」という動作ができない状態を想像してみてください。

アシュタンガヨガはビンヤサという独特な動きによってポーズとポーズの間をつなぎますが、このビンヤサ-ジャンプバックとジャンプスルーという動的動きや、下向きの犬のポーズと上向きの犬のポーズという静的ポーズ-はいずれも両手を床に着き身体を支える姿勢によって構成されています。

つまり「手を床につけて重心を乗せる」ことができないと、「正しいやり方」として教わった方法でビンヤサが行えない、ということになってしまします。



けれど 「正しい」 って、いったい なんでしょう?



怪我をした手以外はピンピンと元気イッパイですから、アシュタンガの練習をやりたい!と思うのは当然ですよね。数日たって落ち着いて来れば、たぶん恐る恐る練習を再開することでしょう。

違和感や痛みはあるけれど、ちょっと無理すれば、ちょっと我慢すれば、ちょっと痛み止めを飲めば、「正しいやり方」っぽいカタチで、なんとなくできる・・・ そんな風に、限りなく「正しいやり方」に寄り添うように再開した練習は、確かに楽しいけれど、どこかに常に負担がかかり、正直ちょっとシンドク感じます。

無理を続けているせいか痛みはなかなか引かなかったり、むしろどんどん悪化していってる気がしたり、自分はなんのためにヨガをやってるんだろう?と悩んだり、ビンヤサは丸々飛ばしてポーズだけやろう!と工夫をしたり、果ては「アシュタンガは万全なコンディションじゃないと無理!」だからと練習自体を止めてしまったり・・・

「ヨガとケガ」をめぐる私達の反応には様々なパターンがありますよね。

それのどれもが、同じくらい等しく「正しい」し、同時に「無知の顕れ」でもあるし、しかし決して「間違って」はいないと思います。だけど、「それはヨガじゃない」とか、「そのやり方は間違っている」とか、そういう視点を持つことで、自身が辛くなってしまうのは、ちょっと残念。

せっかく出会えた「ヨガ」と共に、より良く生きていくには、色んな「思い込み」を一旦リセットすることも大事。病気やケガなど不遇な状況に身を置いている時こそ、回復へ向かっていけるよう、ヨガの力を借りて、もっともっと自由に、やさしく癒されて、解放されてしかるべきなんじゃないかな。

両手を床につくことができないのなら、つかなければいい、それだけのことだと思います。ビンヤサの動きはしなくても、決められた呼吸のカウントは抜かさないでしっかり意識的に行う・・・それだけで十分アシュタンガヨガの本質の部分は心身に響いているはず。


健康で元気なときには気にも留めなかったことが、ケガや病気で不調になると見えてくることがあります。それって、まさに、ありがたい学びのとき・滋養のとき、だからこそ。

怪我や病気をしてしまったから、アシュタンガヨガの練習が悲痛で辛いものになる・・・ のではなく、ケガや病気をしてしまったからこそ、アシュタンガヨガ の練習が、さらに素晴らしいものとなり、その恩恵をしっかりと受け止められる、そんな練習をしてほしいな、と思います。 




逗子ヨガでアシュタンガを長く練習している生徒さんのひとりは、先日事故で骨折をしてしまったのですが、身体に負担をかけない簡易ポーズで、しっかりと呼吸と集中を意識した、とても深いアシュタンガヨガの練習を続けています。知らない人がパッと見たら、「あの人なにやってるんだろう?」と思うようなポーズのカタチではあっても、その不自由そうな身体の中に宿る彼女の心は、とても静かに集中しています。

わたしは、それをアシュタンガヨガの本質だと、思っています。

奇しくも私自身、現在頸椎ヘルニアの症状が強いため、普段と同じ練習はしていません。けれど、毎朝マットの上で「正座~膝立ち~子供のポーズ」を繰り返すだけの太陽礼拝を、カウント通りに行っています。身体は動かせないけれど、呼吸はまるでフルプライマリーをしている時のようです。身体全体の筋力はほとんど使わず、バンダで体内のエネルギーを調整して、ドリスティで意識を一点にとどめる・・・それだけの単純なことですが、ストレスフルな日常を健やかに生きるための、欠かせない日課となっています。ちょっと凹みそうな頸椎ヘルニアの痛みを抱えた日々であっても、こんな風に支えとなる練習ができるなんて、アシュタンガヨガをやっていて良かったな、と思います。





ところで youtube などで目にするアシュタンガヨガの動画は、ポーズや動きの精巧さ・美しさ・力強さを表現したデモンストレーションが多く、そのイメージが蔓延しすぎて、「アシュタンガヨガは肉体的に優れた一部の人達のためにある」と思われ、普通の一般的な私達には「敷居が高い」とか、「難易度が高い」といった偏見が生まれているような気がします。

こちらの動画、Jeff LichtyのAn Introduction to Ashtanga Yoga Practice - Gentle Beginners Routine (アシュタンガヨガのプラクティス入門―ビギナーのためのやさしいルーティーン)は、外側のカタチに囚われない、アシュタンガヨガのアサナ練習の本質の部分を、普通の一般的な方々が敬遠せず納得できるよう、わかりやすくていねいに説明しています。

無理することで見失ってしまう大切なこと。現代社会に生きる私達が、なぜヨガをするのか?の根源的な意義など、ついつい忘れがちなことを沢山思い起こさせてくれました。とても素晴らしい動画ですので、ぜひどうぞご覧ください。

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